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柴田軍 ・ 前田

前田利家

まえだ としいえ

「槍の又左」

若き日は信長の小姓「傾奇者」として知られ、槍の又左と謳われた猛将。柴田勝家の与力として北陸を転戦したが、賤ヶ岳では旧友秀吉と主筋勝家の板挟みとなり戦線を離脱、勝敗を決した。後に秀吉政権の五大老の一人となり、加賀百万石の礎を築いた。

異名
「槍の又左」
官位・役職
権大納言ごんのだいなごん
領国・本拠
加賀
旗印・家紋
梅鉢
陣営
柴田軍
生没
1538–1599(享年62)

我が死なば、火葬にすな。土に埋めよ。

伝・前田利家

生涯

  1. 天文二十一年 傾奇者の若武者 信長の小姓として仕え、派手な装いと槍働きで名を上げた。
  2. 天正十一年 賤ヶ岳の離脱 旧友秀吉と主君勝家の間で苦悩し、戦線を退いて決着をつけた。
  3. 天正十三年 加賀百万石 金沢を本拠に加賀・能登・越中を領し、大大名となった。
  4. 慶長三年 五大老 秀吉の遺命で、幼君秀頼の後見役を託された。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 手取川の戦いてどりがわのたたかい 天正五年九月二十三日 加賀国 手取川 勝家の与力として殿に近い位置にあった。混乱の中で兵をまとめ、辛うじて川を渡って退いた。 兵力 3,000名 観る ▸
  2. 賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかい 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 茂山に布陣しながら一戦も交えず撤退。友・秀吉と主筋・勝家の狭間での沈黙が、勝敗を決めた。 兵力 3,000名 観る ▸