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明智軍 ・ 明智

明智光秀

あけち みつひで

「惟任日向守」

出自に謎の多い武将で、足利義昭と信長に仕えて急速に出世した。丹波を平定して近畿方面の要となるが、天正十年、本能寺に信長を急襲して討つ。だが頼みの味方の参集は乏しく、山崎で秀吉に敗れ、敗走の途上で落武者狩りに斃れた。世にいう「三日天下」。連歌や茶の湯を能くした教養人でもあった。

異名
「惟任日向守」
官位・役職
惟任日向守これとうひゅうがのかみ
領国・本拠
丹波
旗印・家紋
桔梗
陣営
明智軍
生没
1528–1582(享年55)

時は今 あめが下知る 五月かな。

愛宕百韻(伝)

生涯

  1. 元亀二年 近江坂本城 比叡山焼き討ちの功で坂本城を与えられ、織田の重臣となった。
  2. 天正七年 丹波平定 苦戦の末に丹波を平定し、信長から高く評価された。
  3. 天正十年 本能寺の変 「敵は本能寺にあり」──主君信長を京で討った。
  4. 天正十年 山崎に散る 秀吉に敗れ、小栗栖で落武者狩りに遭い最期を遂げた。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 本能寺の変ほんのうじのへん 天正十年六月二日 山城国 京・本能寺 中国出陣の途上で反旗を翻し、主君信長を本能寺に討った智将。だが「三日天下」に終わる運命にあった。 兵力 5,000名 ・ 総大将 観る ▸
  2. 山崎の戦いやまざきのたたかい 天正十年六月十三日 山城国 山崎 本能寺に信長を討ってから十一日。御坊塚に本陣を構えたが、頼みの与力たちは集まらなかった。 兵力 5,000名 ・ 総大将 観る ▸