羽柴軍 ・ 豊臣(羽柴)
豊臣秀吉
とよとみ ひでよし
「太閤」
尾張の足軽の子から身を起こし、信長に仕えて頭角を現した。本能寺の変の報に中国大返しで取って返し、山崎に光秀を討つ。賤ヶ岳で勝家を下して織田家の実権を握り、四国・九州・小田原を平定して天下を統一した。関白・太閤として絶頂を極めたが、二度の朝鮮出兵の最中に病没した。
- 異名
- 「太閤」
- 官位・役職
- 関白 / 太政大臣
- 領国・本拠
- 尾張 → 天下
- 旗印・家紋
- 五七桐 / 千成瓢箪
- 陣営
- 羽柴軍
- 生没
- 1537–1598(享年62)
露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢。
辞世
生涯
- 天正十年 中国大返し・山崎 本能寺の報に備中から取って返し、山崎で光秀を討った。
- 天正十一年 賤ヶ岳 柴田勝家を破り、織田家中の主導権を確立した。
- 天正十三年 関白就任 関白に任じられ、武家を超えた権威で天下に号令した。
- 天正十八年 天下統一 小田原を落として北条を滅ぼし、奥州も従えて統一を完成させた。
- 慶長三年 伏見に没す 朝鮮出兵の最中、幼い秀頼の行く末を案じつつ世を去った。
この絵巻での足跡全4合戦
- 長篠の戦い 天正三年五月二十一日 三河国 長篠・設楽原 のちの天下人・豊臣秀吉。この戦いでは柵の内で中央の防衛線を支えた。 観る ▸
- 山崎の戦い 天正十年六月十三日 山城国 山崎 中国大返しで誰よりも早く戻り、信長の仇討ちの旗を独占した。この勝利が天下人への跳躍台となる。 観る ▸
- 賤ヶ岳の戦い 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 大垣から五十二キロを五時間で駆け戻る「美濃大返し」を演じ、油断した別働隊を払暁に叩いた。 観る ▸
- 小牧・長久手の戦い 天正十二年四月九日 尾張国 長久手 楽田の本陣から別働隊を放った天下人。急報に大軍を率いて駆けつけるも、本多忠勝に阻まれ、決戦には間に合わなかった。 観る ▸