← 武将一覧へ

東軍 ・ 徳川

徳川家康

とくがわ いえやす

「東照大権現」

三河の小領主に生まれ、幼少期を今川・織田の人質として過ごした。桶狭間を機に独立し、信長と結んで版図を広げる。三方ヶ原で信玄に大敗するも雌伏し、秀吉没後の関ヶ原を制して天下の実権を握った。江戸に幕府を開き、大坂の陣で豊臣を滅ぼして二百六十余年の泰平の礎を築いた。

異名
「東照大権現」
官位・役職
征夷大将軍せいいたいしょうぐん / 太政大臣だじょうだいじん
領国・本拠
三河 → 関八州 → 天下
旗印・家紋
三つ葉葵
陣営
東軍
生没
1543–1616(享年74)

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。

東照公遺訓(伝)

生涯

  1. 永禄三年 桶狭間と独立 今川方の先鋒として参陣。義元の死を機に岡崎へ戻り独立した。
  2. 元亀三年 三方ヶ原の大敗 信玄に挑んで惨敗。命からがら浜松城へ逃げ帰った生涯最大の敗北。
  3. 慶長五年 関ヶ原 東軍を率いて西軍を破り、天下の実権を掌握した。
  4. 慶長八年 江戸幕府 征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いた。
  5. 慶長二十年 大坂夏の陣 豊臣家を滅ぼし、百年の戦国の世に終止符を打った。

この絵巻での足跡全7合戦

  1. 桶狭間の戦いおけはざまのたたかい 永禄三年五月十九日 尾張国 桶狭間 のちの徳川家康。今川方の先鋒として丸根砦を落とし、大高城へ兵糧を入れる大役を果たした。 兵力 2,500名 観る ▸
  2. 姉川の戦いあねがわのたたかい 元亀元年六月二十八日 近江国 姉川 西翼で朝倉勢と激突。これを打ち破ると、返す刀で浅井の側面を衝き、連合軍の勝利を手繰り寄せた。 兵力 5,000名 ・ 総大将 観る ▸
  3. 三方ヶ原の戦いみかたがはらのたたかい 元亀三年十二月二十二日 遠江国 三方ヶ原 挑発に乗って城を出た三十一歳の家康。生涯最大の敗北を喫し、空城の計で浜松城を守り抜いた。 兵力 6,000名 ・ 総大将 観る ▸
  4. 長篠の戦いながしののたたかい 天正三年五月二十一日 三河国 長篠・設楽原 弾正山に本陣を構え、長年苦しめられてきた宿敵・武田の騎馬軍団と正面から対峙した。 兵力 8,000名 ・ 総大将 観る ▸
  5. 小牧・長久手の戦いこまき・ながくてのたたかい 天正十二年四月九日 尾張国 長久手 別働隊の中入りを察知し、夜を徹して追撃。色金山に物見を立て、仏ヶ根で池田・森の本隊を打ち破った。 兵力 9,000名 ・ 総大将 観る ▸
  6. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 東軍総大将。桃配山から陣場野へ本陣を進め、問鉄砲で小早川の寝返りを引き出して勝敗を決した。 兵力 30,000名 ・ 総大将 観る ▸
  7. 大坂夏の陣おおさかなつのじん 慶長二十年五月七日 摂津国 天王寺・岡山 七十四歳の総大将。真田の突撃に本陣を二度割られ、自害を覚悟したとも伝わる最後の戦場。 兵力 15,000名 ・ 総大将 観る ▸