賤ヶ岳の戦いの解説
賤ヶ岳の戦いは、1583年(天正十一年四月二十一日)に近江国 賤ヶ岳で行われた合戦です。夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。
- 年
- 1583年(天正十一年四月二十一日)
- 場所
- 近江国 賤ヶ岳
- 時代
- 安土桃山時代
合戦の経過
- 奇襲 大岩山、陥つ
天正十一年四月二十日朝。信長亡き後の主導権を懸け、柴田勝家の甥・佐久間盛政が中入りを敢行、大岩山砦を急襲した。守将・中川清秀は奮戦むなしく討死する。
- 深入り 盛政、退かず
「すぐ退け」という勝家の再三の命令を、戦果に酔う盛政は黙殺した。奪った砦に居座る別働隊一万二千。この驕りが、戦国屈指の大逆転を呼び込むことになる。
- 大返し 美濃大返し
大垣で報せを受けた秀吉は叫んだ。「勝ったぞ」――。五十二キロを五時間、街道沿いの村々に松明と炊き出しを命じ、一万五千が夜の北国街道を駆ける。世にいう美濃大返しである。
- 払暁 払暁、木之本
二十一日未明、秀吉軍が木之本に到着。あり得ない速さの帰還に、盛政はようやく退却を始めた。だが、退く軍ほど脆いものはない。
- 追撃 賤ヶ岳の追撃
「者ども、駆けよ」。退く盛政隊に秀吉子飼いの若武者たちが殺到する。福島正則、加藤清正――後に「賤ヶ岳の七本槍」と謳われる男たちの初舞台である。救援に出た柴田勝政も討死した。
- 離脱 前田隊、戦場を去る
茂山に布陣していた前田利家が、突如として兵を退いた。長年の友・秀吉と主筋の勝家の間で、利家は戦わぬことを選んだ。側面を失った柴田軍の運命は、この瞬間に決した。
- 落城へ 北ノ庄へ
柴田軍は総崩れとなり、勝家はわずかな旗本と越前北ノ庄へ落ちた。三日後、城は燃え、勝家はお市の方とともに自害する。秀吉の天下が、ここに事実上定まった。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 賤ヶ岳の戦いとは何ですか?
- 夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。
- 賤ヶ岳の戦いはいつ・どこで起きましたか?
- 1583年、近江国 賤ヶ岳(天正十一年四月二十一日)で起きた合戦です。
- 賤ヶ岳の戦いでは誰が戦いましたか?
- 羽柴軍の羽柴秀吉、柴田軍の柴田勝家らが戦いました。
- 賤ヶ岳の戦いを3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。