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柴田軍 ・ 佐久間

佐久間盛政

さくま もりまさ

鬼玄蕃おにげんば

柴田勝家の甥で、その猛勇から「鬼玄蕃」と恐れられた北陸方面の先鋒。賤ヶ岳では大岩山の中川清秀を電光石火で討ち取る殊勲を立てたが、勝家の制止を聞かず陣に居座ったところを、美濃大返しで戻った秀吉に急襲され総崩れとなった。捕えられ、助命を拒んで斬られたと伝わる。

異名
「鬼玄蕃」
官位・役職
玄蕃允げんばのじょう
領国・本拠
加賀
陣営
柴田軍
生没
1554–1583(享年30)

生涯

  1. 天正十一年 大岩山急襲 中川清秀の砦を急襲して討ち取り、武名を上げた。
  2. 天正十一年 賤ヶ岳の敗北 深入りを秀吉に衝かれ、総崩れの末に捕えられた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかい 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 「鬼玄蕃」と恐れられた猛将。大岩山奇襲は成功させたが、深入りが軍全体の命取りとなった。 兵力 8,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 賤ヶ岳古戦場