織田軍丹羽
丹羽長秀
にわ ながひで
「米五郎左 / 織田四宿老」
1535–1585(享年51)
- 官位・役職
- 五郎左衛門尉
- 領国・本拠
- 若狭 → 越前北ノ庄
- 旗印・家紋
- 直違
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
信長の片腕として、武功と内政・普請の両面で重きをなした宿老。「米のように毎日欠かせぬ」と「米五郎左」の異名で頼られた。安土城築城の総奉行を務め、その手腕は群を抜く。本能寺の後は秀吉と結んで山崎・賤ヶ岳に従い、織田家中の調停役を担ったが、まもなく病没した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1575天正三年
- 1576天正四年
安土城普請
信長の安土城築城で総奉行を務め上げた。
- 1582天正十年
山崎の戦い
本能寺の後、秀吉に与して光秀討伐に加わった。
- 1583天正十一年
賤ヶ岳
秀吉方として勝家と戦い、越前を加増された。
賤ヶ岳の戦い 兵 2,000 3Dで見る › 琵琶湖を渡って駆けつけ、賤ヶ岳の守りを固めた。秀吉方の勝利を支えた老練の重鎮。 PR「賤ヶ岳の戦い」の本を探す楽天で探す