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羽柴軍 ・ 中川

中川清秀

なかがわ きよひで

摂津の猛将せっつのもうしょう

摂津茨木城主で、はじめ荒木村重に従い、村重の謀反の後は信長・秀吉に属した剛勇の将。山崎の戦いにも先鋒として加わる。賤ヶ岳では大岩山砦を守ったが、佐久間盛政の電光石火の急襲を受け、援軍も間に合わぬまま奮戦の末に討死した。その死が賤ヶ岳の戦端を開いた。

異名
「摂津の猛将」
官位・役職
瀬兵衛
領国・本拠
摂津茨木
陣営
羽柴軍
生没
1542–1583(享年42)

生涯

  1. 天正十年 山崎の戦い 秀吉方の先鋒として明智勢と戦った。
  2. 天正十一年 賤ヶ岳・大岩山 佐久間盛政の急襲を受け、砦を枕に討死した。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 山崎の戦いやまざきのたたかい 天正十年六月十三日 山城国 山崎 摂津の荒大名。高山隊と並んで先鋒を務め、緒戦の劣勢を支えきった。 兵力 2,500名 観る ▸
  2. 賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかい 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 大岩山砦を死守して討死。山崎に続く参陣だったが、その死が秀吉軍の闘志に火を点けた。 兵力 1,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 茨木城跡(大阪)
  • 賤ヶ岳古戦場