羽柴軍中川
中川清秀
なかがわ きよひで
「摂津の猛将」
1542–1583(享年42)
- 官位・役職
- 瀬兵衛
- 領国・本拠
- 摂津茨木
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
摂津茨木城主で、はじめ荒木村重に従い、村重の謀反の後は信長・秀吉に属した剛勇の将。山崎の戦いにも先鋒として加わる。賤ヶ岳では大岩山砦を守ったが、佐久間盛政の電光石火の急襲を受け、援軍も間に合わぬまま奮戦の末に討死した。その死が賤ヶ岳の戦端を開いた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1582天正十年
- 1583天正十一年
賤ヶ岳・大岩山
佐久間盛政の急襲を受け、砦を枕に討死した。
賤ヶ岳の戦い 兵 1,000 3Dで見る › 大岩山砦を死守して討死。山崎に続く参陣だったが、その死が秀吉軍の闘志に火を点けた。 PR「賤ヶ岳の戦い」の本を探す楽天で探す