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武田軍 ・ 武田

武田信玄

たけだ しんげん

「甲斐の虎」

父信虎を追放して家督を継ぎ、「風林火山」の旗の下に信濃を席巻した名将。川中島で上杉謙信と覇を競い、信玄堤などの治水や鉱山開発と、内政にも非凡を発揮した。晩年、上洛を目指す西上作戦を起こし三方ヶ原で家康を一蹴するが、その途上で病に倒れ、志半ばで甲斐へ引き返す中に没した。

異名
「甲斐の虎」
官位・役職
信濃守しなののかみ / 大膳大夫だいぜんのだいぶ
領国・本拠
甲斐・信濃
旗印・家紋
風林火山 / 武田菱
陣営
武田軍
生没
1521–1573(享年53)

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。

甲陽軍鑑

生涯

  1. 天文十年 家督相続 父信虎を駿河へ追放し、二十一歳で武田家当主となった。
  2. 永禄四年 第四次川中島 上杉謙信と最も激しく干戈を交え、軍師勘助らを失った。
  3. 元亀三年 西上作戦 上洛を目指して大軍を発し、徳川領へ侵攻した。
  4. 元亀四年 三方ヶ原と最期 家康を三方ヶ原に破るも、進軍中に病が篤くなり信濃で没した。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 第四次川中島の戦いだいよじかわなかじまのたたかい 永禄四年九月十日 信濃国 川中島 八幡原に本陣を構え、霧の中から現れた上杉全軍を鶴翼の陣で迎え撃った総大将。一騎討ちでは軍配で太刀を受けたと伝わる。 兵力 3,000名 ・ 総大将 観る ▸
  2. 三方ヶ原の戦いみかたがはらのたたかい 元亀三年十二月二十二日 遠江国 三方ヶ原 浜松城を素通りして家康を釣り出し、三方ヶ原に魚鱗の陣で待ち構えた。西上作戦の最高到達点。 兵力 8,000名 ・ 総大将 観る ▸