平家平(伊勢平氏)
平維盛
たいらの これもり
「桜梅少将」
1158–1184(享年27)
- 官位・役職
- 右近衛権中将
- 領国・本拠
- —
- 旗印・家紋
- 揚羽蝶
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
平重盛の嫡男で、清盛の嫡孫にあたる。容姿と舞の美しさで「桜梅少将」「光源氏の再来」と讃えられた宮廷の貴公子であった。治承四年、頼朝追討の総大将として東下したが、富士川で水鳥の羽音を敵襲と誤って敗走する。寿永二年、木曽義仲討伐の総大将として北陸道を下り、砺波山の倶利伽羅峠に陣を敷いたが、夜襲と火牛の計に遭って大軍を谷底に失った。平家都落ちの後は一門と行動を共にせず、屋島を抜け出して高野山で出家、熊野の那智の沖で入水したと伝わる。二十七歳。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1158保元三年
誕生
平重盛の嫡男として生まれる。
- 1176安元二年
桜梅少将
後白河法皇の五十賀で青海波を舞い、その美しさが都の評判となる。
- 1180治承四年
富士川の敗走
頼朝追討の総大将として東下するも、水鳥の羽音に驚いて敗走した。
- 1183寿永二年
倶利伽羅峠の戦い
木曽義仲の夜襲と火牛の計に遭い、大軍を地獄谷に失った。
倶利伽羅峠の戦い 総大将 兵 30,000 3Dで見る › 平清盛の嫡孫、平家北陸軍の総大将。富士川に続き倶利伽羅でも大軍を失い、わずかな供とともに加賀へ逃れた。「光源氏の再来」と讃えられた貴公子は、戦の将ではなかった。 PR「倶利伽羅峠の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1184寿永三年
那智の沖に入水
屋島を離れて高野山で出家し、熊野の海に身を投げたと伝わる。