倶利伽羅峠の戦いの解説
倶利伽羅峠の戦いは、1183年(寿永二年五月十一日)に越中・加賀国境 砺波山で行われた合戦です。北陸道を下る平維盛の大軍を、木曽義仲が砺波山の峠で迎え撃つ。夜陰に乗じた三方からの奇襲と「火牛の計」で平家軍は谷底へ転落。平家都落ちの序曲となった一戦。
- 年
- 1183年寿永二年五月十一日
- 場所
- 越中・加賀国境 砺波山
- 時代
- 平安時代末期
両軍の対陣
合戦の経過時刻は3Dの時計
- 午の刻1章
対峙砺波山に対峙す
寿永二年五月、平維盛を総大将とする平家の大軍が北陸道を下り、越中との国境・砺波山の猿ヶ馬場に陣を敷いた。迎える木曽義仲は南東の埴生に本陣を置く。義仲は峠の高みに白旗三十流を掲げさせ、大軍が控えるかのように見せかけた。
- 酉の刻2章
日暮れ矢合わせ、日を延ばす
義仲は平家軍を平地に下ろさず、山中に留めたまま日が暮れるのを待った。両軍は矢合わせと小競り合いを繰り返し、平家は敵が大軍と信じて動かない。義仲は埴生八幡宮に願文を捧げ、夜襲の成就を祈った。
- 戌の刻3章
夜三方より忍び寄る
夜、義仲は軍を分けた。樋口兼光は北の山道を迂回して平家の背後・松永へ、今井兼平は北の日宮方面へ、巴と根井行親は南の山中へ。平家の陣は三方から静かに包み込まれ、残された道は南の谷だけとなった。
- 子の刻4章
火牛火牛の計
子の刻、義仲は数百頭の牛の角に松明を結び、平家の陣へ一斉に放った。炎の群れが闇を裂いて突っ込み、法螺貝と鬨の声が四方から上がる。眠りを破られた平家軍は、四万の大軍が包囲されたと信じ、恐慌に陥った。
- 丑の刻5章
地獄谷谷底へ
前も後ろも敵。逃げ道は南の谷しかなかった。暗闇の中、平家の将兵は我先に谷へ雪崩れ込み、「馬の上に馬、人の上に人」と重なって転落した。倶利伽羅の谷は屍で埋まり、後に地獄谷と呼ばれた。平為盛ら多くの将が命を落とす。
- 寅の刻6章
追撃維盛、加賀へ落つ
夜が白む頃、義仲は残る平家勢を峠から追い落とした。総大将維盛はわずかな供とともに加賀へ逃れ、平家の北陸軍は一夜にして崩れ去った。
- 夜明け7章
入京へ都落ちの序曲
義仲は勢いに乗じて篠原でも平家を破り、北陸道を都へ駆け上る。二か月後の七月、平家は安徳天皇を奉じて都を落ちた。倶利伽羅峠の一夜は、源平の潮目を変えた夜となった。
超精密3Dで見ると合戦パスの特典

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。
よくある質問
倶利伽羅峠の戦いとは何ですか?
北陸道を下る平維盛の大軍を、木曽義仲が砺波山の峠で迎え撃つ。夜陰に乗じた三方からの奇襲と「火牛の計」で平家軍は谷底へ転落。平家都落ちの序曲となった一戦。
倶利伽羅峠の戦いはいつ・どこで起きましたか?
1183年、越中・加賀国境 砺波山(寿永二年五月十一日)で起きた合戦です。
倶利伽羅峠の戦いでは誰が戦いましたか?
源氏の木曽義仲、平家の平維盛らが戦いました。
倶利伽羅峠の戦いを3Dで見られますか?
はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。
この合戦の更新履歴
- 合戦追加 この合戦を公開