飯富虎昌の肖像

武田軍飯富

飯富虎昌

おぶ とらまさ

「甲山の猛虎こうざんのもうこ / 赤備えの祖あかぞなえのそ」

1504–1565(享年62)

官位・役職
兵部少輔ひょうぶのしょう
領国・本拠
甲斐
旗印・家紋
赤備え
3Dで見られる合戦
1合戦

後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

信虎・信玄二代に仕えた武田の宿老で、その武勇から「甲山の猛虎」と称された。朱で統一した精鋭「赤備え」を率いて戦場で恐れられ、これが弟山県昌景から井伊へと受け継がれる武田赤備えの源流となった。だが信玄の嫡男義信の傅役だった縁から義信謀反事件に連座し、自刃して果てた。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1553天文二十二年

    川中島

    武田の先鋒として上杉勢と渡り合った。

  2. 1561永禄四年

    赤備えの武威

    朱の精鋭を率い、その武名を天下に轟かせた。

  3. 1561永禄四年

    第四次川中島の戦い

    「甲山の猛虎」と恐れられた赤備えの祖。北翼で上杉勢の猛攻を受け止め続けた。

    信濃国 川中島 兵 1,500 3Dで見る ›

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  4. 1565永禄八年

    義信事件

    嫡男義信の謀反に連座し、自刃して果てた。

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