最上最上
最上義光
もがみ よしあき
「羽州の狐」
1546–1614(享年69)
- 官位・役職
- 出羽守 / 侍従
- 領国・本拠
- 出羽山形
- 旗印・家紋
- 二つ引両
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
山形城主最上義守の嫡男。父との対立を制して家督を継ぎ、天童・白鳥・寒河江ら出羽の諸豪を謀略と武力で従えて出羽の大半を手中にした。伊達政宗の母・義姫は妹にあたる。秀吉に臣従したが、愛娘駒姫を秀次事件で処刑され、豊臣への恨みを抱いた。関ヶ原では東軍に属し、直江兼続率いる上杉二万の侵攻を長谷堂城で食い止め、撤退する上杉勢を自ら先頭で追撃した。兜に銃弾を受けながら戦い抜き、戦後庄内を加増されて五十七万石を領した。山形の城下町と治水にも力を尽くした名君でもある。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1546天文十五年
誕生
最上義守の嫡男として山形に生まれる。
- 1571元亀二年
家督相続
父義守との争いを制して最上家当主となる。
- 1600慶長五年
長谷堂城の戦い
直江兼続の上杉軍二万を長谷堂城で食い止め、撤退する敵を追撃。庄内を得た。
長谷堂城の戦い 総大将 兵 7,000 3Dで見る › 出羽の「羽州の狐」。山形城に籠って上杉の大軍を迎え、敗報に退く直江勢へ自ら先頭に立って追撃をかけた。兜に銃弾を受けながら戦い抜き、戦後五十七万石を得た。 PR「長谷堂城の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1601慶長六年
五十七万石
庄内・由利を加増され、出羽五十七万石の大大名となる。
- 1614慶長十九年
山形に没す
六十九歳で死去。死後、最上家は御家騒動で改易された。