伊達 ・ 伊達
伊達政宗
だて まさむね
「独眼竜」
米沢城主・伊達輝宗の嫡男。幼時に疱瘡で右目を失い「独眼竜」と称された。十八歳で家督を継ぐと、人取橋の重囲を切り抜け、天正十七年の摺上原で名門蘆名を一日で滅ぼし、会津を得て南奥州の覇者となる。だが翌年、豊臣秀吉の小田原参陣の求めに白装束で応じて臣従、惣無事令の前に版図拡大の夢を断たれた。関ヶ原・大坂の陣では徳川方につき、仙台六十二万石の礎を築く。派手を好み「伊達者」の語源ともなった風流人で、慶長遣欧使節を送るなど進取の気性に富んだ。「馬上少年過ぐ」の漢詩を遺している。
- 異名
- 「独眼竜」
- 官位・役職
- 陸奥守 / 仙台藩初代藩主
- 領国・本拠
- 出羽・陸奥(米沢→岩出山→仙台)
- 旗印・家紋
- 竹に雀
- 陣営
- 伊達
- 生没
- 1567–1636(享年70)
馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し。
伊達政宗「酔余口号」
生涯
- 永禄十年 誕生・梵天丸 米沢城主伊達輝宗の嫡男に生まれる。幼くして疱瘡で右目を失った。
- 天正十三年 人取橋の危機 家督相続直後、佐竹・蘆名連合の大軍に囲まれるも辛くも切り抜けた。
- 天正十七年 摺上原の勝利 蘆名義広を摺上原に破り、会津を奪って南奥州の覇者となった。
- 天正十八年 秀吉に臣従 小田原へ白装束で参陣して豊臣に降り、会津は召し上げられた。
- 慶長六年 仙台開府 関ヶ原の後、仙台に城下を開き六十二万石の礎を築いた。
この絵巻での足跡全1合戦
ゆかりの地
- 仙台城跡・青葉城(宮城・仙台)
- 瑞鳳殿(宮城・仙台)
- 大崎八幡宮(宮城・仙台)