伊達伊達
伊達政宗
だて まさむね
「独眼竜」
1567–1636(享年70)
- 官位・役職
- 陸奥守 / 仙台藩初代藩主
- 領国・本拠
- 出羽・陸奥(米沢→岩出山→仙台)
- 旗印・家紋
- 竹に雀
- 3Dで見られる合戦
- 3合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し。
伊達政宗「酔余口号」
米沢城主・伊達輝宗の嫡男。幼時に疱瘡で右目を失い「独眼竜」と称された。十八歳で家督を継ぐと、人取橋の重囲を切り抜け、天正十七年の摺上原で名門蘆名を一日で滅ぼし、会津を得て南奥州の覇者となる。だが翌年、豊臣秀吉の小田原参陣の求めに白装束で応じて臣従、惣無事令の前に版図拡大の夢を断たれた。関ヶ原・大坂の陣では徳川方につき、仙台六十二万石の礎を築く。派手を好み「伊達者」の語源ともなった風流人で、慶長遣欧使節を送るなど進取の気性に富んだ。「馬上少年過ぐ」の漢詩を遺している。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1567永禄十年
誕生・梵天丸
米沢城主伊達輝宗の嫡男に生まれる。幼くして疱瘡で右目を失った。
- 1585天正十三年
人取橋の危機
家督相続直後、佐竹・蘆名連合の大軍に囲まれるも辛くも切り抜けた。
- 1589天正十七年
摺上原の勝利
蘆名義広を摺上原に破り、会津を奪って南奥州の覇者となった。
摺上原の戦い 総大将 兵 8,000 3Dで見る › 奥州の独眼竜、二十三歳。猪苗代盛国の内応を機に会津へ突入し、風が東へ返った一瞬を逃さず全軍を押し出した。 PR「摺上原の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1590天正十八年
秀吉に臣従
小田原へ白装束で参陣して豊臣に降り、会津は召し上げられた。
- 1590天正十八年
小田原攻め
奥州の覇者。秀吉の呼び出しに遅れて応じ、六月、死装束で小田原に参じたと伝わる。命は許されたが、会津などの領地を取り上げられた。
相模国 小田原 兵 1,000 3Dで見る › PR「小田原攻め」の本を探す楽天で探す
- 1600慶長五年
長谷堂城の戦い
関ヶ原と同じ月、北の関ヶ原。直江兼続の上杉二万が最上義光の長谷堂城を囲むも、本戦敗報で一転。前田慶次が殿を務めた撤退戦は「東北一の退き口」と讃えられた。
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- 1601慶長六年
仙台開府
関ヶ原の後、仙台に城下を開き六十二万石の礎を築いた。