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摺上原の戦い

天正十七年六月五日

午前6:00 内応
東軍 西軍 寝返り

摺上原の戦い
合戦データを読み込み中

摺上原の戦いすりあげはらのたたかいの解説

摺上原の戦いは、1589年(天正十七年六月五日)に陸奥国 会津 摺上原で行われた合戦です。風向きが変わった一日。伊達政宗が蘆名義広を磐梯山麓に破り、名門蘆名氏を滅ぼして南奥州の覇者に立った会津の決戦。

年
1589年天正十七年六月五日
場所
陸奥国 会津 摺上原
時代
安土桃山時代

両軍の対陣

伊達軍 総大将伊達政宗 20,0005隊
蘆名軍 総大将蘆名義広 16,5005隊

兵力の内訳3Dに登場する部隊の合計

伊達軍

戦った 20,000

蘆名軍

戦った 16,500

伊達軍兵の多い順

蘆名軍兵の多い順

  • 蘆名義広 総大将 6,000
  • 富田氏実 4,000
  • 金上盛備 2,500
  • 針生盛信 2,000
  • 佐瀬種常 2,000

肖像画は Wikimedia Commons のパブリックドメインの画像です(後世に描かれた想像図を含みます)。

合戦の経過時刻は3Dの時計

  1. 午前4:001章

    内応猪苗代、寝返る

    天正十七年六月。蘆名の宿老・猪苗代盛国が伊達政宗に内応し、居城猪苗代城の門を開いた。会津の東の関門は一夜で崩れ、二十三歳の政宗が大軍を率いて摺上原へなだれ込む。

  2. 午前5:002章

    対陣摺上原、対峙す

    六月五日払暁。磐梯山を背に、伊達勢二万三千と蘆名勢一万六千が摺上原で相対した。蘆名当主義広は佐竹から迎えられた十六歳。老臣たちは、主家への結束を欠いていた。

  3. 午前7:003章

    西風西風、蘆名に利あり

    戦いは西からの風とともに始まった。砂塵を背にした蘆名の先鋒・富田氏実が伊達の先手を突き崩し、政宗の本隊近くまで攻め立てる。緒戦は、蘆名の勝ちであった。

  4. 午前9:004章

    風変わる風、東へ返る

    正午近く、風がふいに止み、やがて東へと吹き返した。砂塵は今度は蘆名の顔を打つ。好機と見た伊達成実と片倉景綱が横合いから突き入り、戦局は音を立てて傾いていく。

  5. 午前11:005章

    総崩れ蘆名勢、崩る

    一角が破れると、寄せ集めの蘆名軍はもろかった。宿老・金上盛備はただ一手踏みとどまり、伊達勢へ斬り込んで玉砕する。「蘆名の柱石」と頼まれた男の、それが最期であった。

  6. 午後0:006章

    日橋川日橋川の悲劇

    総大将義広は黒川へ奔る。だが退路の日橋川では、味方が焼き落とした橋に殺到した兵が折り重なり、濁流へ沈んでいった。討たれ溺れた蘆名勢は、二千とも三千とも伝わる。

  7. 午後1:007章

    会津平定黒川、開く

    数日の後、義広は本拠黒川城を捨て、実家の常陸へ落ちのびた。会津四郡に君臨した名門蘆名氏はここに滅ぶ。政宗の版図は最大に達する――翌年、小田原の秀吉が全てを呑み込むとも知らずに。

超精密3Dで見ると合戦パスの特典

摺上原の戦いの3D(標準の画質)
摺上原の戦い(超精密3D)

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。

よくある質問

摺上原の戦いとは何ですか?

風向きが変わった一日。伊達政宗が蘆名義広を磐梯山麓に破り、名門蘆名氏を滅ぼして南奥州の覇者に立った会津の決戦。

摺上原の戦いはいつ・どこで起きましたか?

1589年、陸奥国 会津 摺上原(天正十七年六月五日)で起きた合戦です。

摺上原の戦いでは誰が戦いましたか?

伊達軍の伊達政宗、蘆名軍の蘆名義広らが戦いました。

摺上原の戦いを3Dで見られますか?

はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。

この合戦の更新履歴

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