上杉直江(上杉家臣)
直江兼続
なおえ かねつぐ
「愛の武将」
1560–1620(享年61)
- 官位・役職
- 山城守
- 領国・本拠
- 出羽米沢
- 旗印・家紋
- 三つ盛り亀甲に三つ葉
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
天の時、地の利、人の和。
伝・直江兼続(愛の前立の由来と共に語られる言葉)
越後の樋口家に生まれ、幼くして上杉景勝の小姓となる。景勝が謙信の跡を継ぐと直江家を継いで執政となり、内政・外交・軍事のすべてを担った。秀吉に「天下の政治を任せられる者」と評され、豊臣政権下で上杉家の会津百二十万石への移封を実現する。慶長五年、家康の上洛要求を「直江状」で突っぱね、関ヶ原の引き金を引いた。同年九月、二万余を率いて最上義光の領国へ侵攻したが、西軍敗北の報を受けて撤退。前田慶次らを殿に立てた見事な退き口は家康をも唸らせた。減封後は米沢三十万石で治水と殖産に努め、上杉家の礎を築いた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1560永禄三年
誕生
越後の樋口兼豊の子として生まれる。幼名与六。
- 1581天正九年
直江家を継ぐ
景勝の命で直江家に入り、執政として上杉家を支える。
- 1598慶長三年
会津移封
上杉家の会津百二十万石への移封を実現。自身は米沢三十万石を領した。
- 1600慶長五年
直江状と長谷堂城
家康に直江状を送り、九月に最上領へ侵攻。関ヶ原の敗報を受けて撤退戦を指揮した。
長谷堂城の戦い 総大将 兵 18,000 3Dで見る › 上杉景勝の執政。「愛」の前立で知られる。二万余を率いて最上領へ攻め入り、関ヶ原の敗報を受けると自ら槍を取って撤退戦を指揮した。 PR「長谷堂城の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1620元和五年
江戸に没す
米沢藩の基礎を築き、六十歳で世を去った。