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西軍 ・ 石田

石田三成

いしだ みつなり

「治部少輔」

「三献の茶」で秀吉に見出され、その吏僚として検地や兵站を取り仕切った豊臣政権の要。秀吉没後、豊臣家を守る立場から徳川家康に対抗し、西軍を結集して関ヶ原に臨んだ。だが小早川秀秋らの寝返りで敗北。近江に潜伏するも捕えられ、六条河原で処刑された。義に殉じた官僚と評される。

異名
「治部少輔」
官位・役職
治部少輔じぶのしょう
領国・本拠
近江佐和山
旗印・家紋
大一大万大吉
陣営
西軍
生没
1560–1600(享年41)

大一大万大吉──一人は万民のため、万民は一人のため。

石田三成 旗印

生涯

  1. 天正十一年 秀吉の懐刀 賤ヶ岳戦後、行政手腕を買われ豊臣政権の中枢を担った。
  2. 慶長五年 西軍挙兵 家康打倒を掲げ、毛利輝元を盟主に西軍を結成した。
  3. 慶長五年 関ヶ原の敗北 小早川らの裏切りで本隊が崩れ、半日で総崩れとなった。
  4. 慶長五年 六条河原 捕縛され京で斬首。最後まで信念を曲げなかったと伝わる。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 西軍の実質的な総帥。笹尾山に本陣を構え、島左近らと共に東軍の猛攻を支え続けた。 兵力 6,000名 観る ▸