上杉前田(滝川一族)
前田慶次
まえだ けいじ
「天下御免の傾奇者」
1533–1612(享年80)
- 官位・役職
- —
- 領国・本拠
- 出羽米沢(上杉家客将)
- 旗印・家紋
- 加賀梅鉢
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
だいなる程は不ゆき、それより後は自由。
伝・前田慶次「亀岡文殊奉納詩歌」より意訳
滝川一益の一族に生まれ、前田利家の兄・利久の養子となった。派手な衣装と奇行で知られる「傾奇者」で、利家を水風呂に誘って逃げた逸話は有名である。前田家を出奔して京で風流に生き、やがて直江兼続と親交を結んで上杉景勝に仕えた。慶長五年の長谷堂城の戦いでは、関ヶ原の敗報を受けて撤退する上杉軍の殿を務め、朱色の槍と大身の馬で追撃する最上勢を幾度も突き崩した。減封後も上杉家に従って米沢に移り、和歌と連歌を楽しみながら余生を送った。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1533天文二年
誕生
滝川一族に生まれ、前田利久の養子となる(生年には諸説あり)。
- 1590天正十八年
前田家を出奔
利家との不和から前田家を去り、京で自由に生きた。
- 1598慶長三年
上杉に仕える
直江兼続との縁で上杉景勝に仕え、会津へ下る。
- 1600慶長五年
長谷堂城の殿
撤退する上杉軍の殿として朱槍を振るい、最上勢の追撃を退けた。
長谷堂城の戦い 兵 800 3Dで見る › 天下御免の傾奇者。撤退戦の殿として朱槍を振るい、追いすがる最上勢を幾度も突き崩した。「東北一の退き口」の立役者。 PR「長谷堂城の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1612慶長十七年
米沢に没す
米沢の堂森で隠棲し、静かに世を去った(没年には諸説あり)。