武田軍高坂(春日)
高坂昌信
こうさか まさのぶ
「逃げ弾正 / 武田四天王」
1527–1578(享年52)
- 官位・役職
- 弾正忠
- 領国・本拠
- 甲斐 → 信濃海津
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
農民の出から信玄に見出され、武田四天王に列した立志の将。被害を抑えた巧みな撤退から「逃げ弾正」と称された。川中島の最前線・海津城を任され、上杉の動きをいち早く察して啄木鳥戦法の契機を作った。武田の興亡を記した軍学書『甲陽軍鑑』は、彼の口述が元になったとも伝わる。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1561永禄四年
海津城を守る
川中島の最前線を任され、上杉の南下を監視した。
- 1561永禄四年
第四次川中島の戦い
別働隊一万二千の大将として妻女山を急襲するも空振り。すぐさま山を下り、上杉軍の背後へ回り込んだ。
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- 1572元亀三年
西上作戦
信玄の上洛戦に従い、各地を転戦した。
- 1578天正六年
病没
勝頼の代まで武田を支え、海津城で世を去った。