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武田軍 ・ 高坂(春日)

高坂昌信

こうさか まさのぶ

逃げ弾正にげだんじょう / 武田四天王たけだしてんのう

農民の出から信玄に見出され、武田四天王に列した立志の将。被害を抑えた巧みな撤退から「逃げ弾正」と称された。川中島の最前線・海津城を任され、上杉の動きをいち早く察して啄木鳥戦法の契機を作った。武田の興亡を記した軍学書『甲陽軍鑑』は、彼の口述が元になったとも伝わる。

異名
「逃げ弾正 / 武田四天王」
官位・役職
弾正忠だんじょうのちゅう
領国・本拠
甲斐 → 信濃海津
陣営
武田軍
生没
1527–1578(享年52)

生涯

  1. 永禄四年 海津城を守る 川中島の最前線を任され、上杉の南下を監視した。
  2. 元亀三年 西上作戦 信玄の上洛戦に従い、各地を転戦した。
  3. 天正六年 病没 勝頼の代まで武田を支え、海津城で世を去った。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 第四次川中島の戦いだいよじかわなかじまのたたかい 永禄四年九月十日 信濃国 川中島 別働隊一万二千の大将として妻女山を急襲するも空振り。すぐさま山を下り、上杉軍の背後へ回り込んだ。 兵力 6,000名 観る ▸

ゆかりの地

  • 松代城(海津城)
  • 川中島古戦場