趙雲の肖像

劉備軍趙(蜀漢)

趙雲

ちょううん

「一身これ胆」

生年不詳–229

官位・役職
鎮軍将軍 / 永昌亭侯
領国・本拠
蜀漢
3Dで見られる合戦
2合戦

後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

子龍は一身これ胆なり。

劉備の言(『三国志』趙雲伝注・趙雲別伝)

常山真定の人。はじめ公孫瓚に属し、その下で劉備と出会って以来、生涯劉備に従った。建安十三年の長坂では曹操の追撃で崩れた乱軍の中に単騎取って返し、甘夫人と幼い阿斗を懐に抱いて敵中を突破、演義では「七度出入りし五十余将を斬る」と語られる。益州平定にも従い、漢中争奪では北山の兵糧をめぐって魏の大軍に囲まれるや、営門を開け放って旗を伏せる空営の計で敵を退け、追撃して大勝した。劉備は翌朝その陣を見て「子龍は一身これ胆なり」と讃えた。諸葛亮の第一次北伐では箕谷で囮を務め、敗れながらも軍を整然と退かせた。建興七年に没し、のちに順平侯を追贈された。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 200建安五年

    劉備に従う

    公孫瓚のもとで出会った劉備に鄴で再会し、以後生涯従った。

  2. 208建安十三年
  3. 219建安二十四年

    漢水の戦い

    空営の計で曹操の大軍を退け、「一身これ胆」と讃えられた。

  4. 219後漢 建安二十四年

    定軍山の戦い

    北山の兵糧を奪いに出て魏の大軍に囲まれたが、営門を開いて旗を伏せる空営の計で敵を退け、追撃して大勝。曹操に「一身これ胆」と言わしめた。

    益州 漢中 定軍山 兵 3,000 3Dで見る ›

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  5. 228建興六年

    箕谷の囮

    第一次北伐で囮を務め、敗れながらも軍を整然と退かせた。

  6. 229建興七年

    死去

    成都で没す。景耀四年に順平侯を追贈された。

ゆかりの地

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