孫劉連合軍関(蜀)
関羽
かんう
「美髯公 / 武聖」
生年不詳–220
- 官位・役職
- 前将軍 / 漢寿亭侯
- 領国・本拠
- 蜀漢
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
桃園の誓いで劉備・張飛と義兄弟の契りを結び、生涯忠義を貫いた豪傑。一時曹操に身を寄せた際も顔良を斬って恩に報い、劉備のもとへ帰参した。赤壁の後は荊州の鎮守を託されるが、樊城を攻める最中に呉の背信を受け、麦城に追われて落命した。武の聖人「関帝」として今も篤く信仰される。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 184中平元年
桃園の誓い
劉備・張飛と義兄弟の契りを結び、挙兵に従ったと伝わる。
- 200建安五年
白馬に顔良を斬る
一時曹操に従い、袁紹の猛将顔良を陣中に討って恩に報いた。
- 208後漢 建安十三年
- 208後漢 建安十三年
長坂の戦い
劉備の命で水軍数百艘を率い、漢水を下って漢津で劉備を迎えた。義弟の船が、劉備一行を夏口へ運んだ。
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- 219建安二十四年
樊城の水攻め
漢水の増水を利して于禁を降し、その武威は中原を震わせた。
- 219建安二十四年
麦城に散る
呉に荊州を奪われて退路を断たれ、麦城を脱する途上で落命した。