豊臣浅井 → 豊臣
茶々(淀殿)
ちゃちゃ(よどどの)
1569–1615(享年47)
- 領国・本拠
- 大坂城
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
浅井長政と、信長の妹お市の長女。幼くして小谷城の落城を、さらに賤ヶ岳の後には母お市と養父・柴田勝家を北ノ庄に失った。やがて豊臣秀吉の側室となり、待望の嫡子秀頼を生んで「淀殿」と呼ばれ、大きな権勢をふるう。秀吉の死後は幼い秀頼の後見として豊臣家を支えたが、徳川家康と対立。大坂冬の陣・夏の陣を経て、燃える大坂城で秀頼とともに自害した。三度、居城の落城を見た女性であった。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1573天正元年
小谷落城
父・浅井長政が滅び、母や妹とともに救い出された。
- 1583天正十一年
北ノ庄落城
賤ヶ岳の後、母お市と養父勝家を北ノ庄に失った。
- 1593文禄二年
秀頼を生む
秀吉の側室となり、嫡子秀頼を生んで淀殿と呼ばれた。
- 1614慶長十九年
大坂冬の陣
徳川二十万が大坂城を囲む。真田信繁は惣構の南に出城「真田丸」を築き、前田・井伊・松平の猛攻を鉄砲で撃退した。大筒の砲撃と和議、そして堀の埋め立てへ。夏の陣の伏線となった籠城戦。
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- 1615慶長二十年
ゆかりの地
よくある質問
茶々(淀殿)とはどんな人物ですか?
浅井長政とお市の方の長女で、豊臣秀吉の側室となり嫡子秀頼を生んだ女性です。「淀殿」と呼ばれ大きな権勢をふるいましたが、大坂の陣で豊臣家とともに大坂城で自害しました。2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場します。
茶々はなぜ「三度の落城」を経験したのですか?
幼い頃に父の小谷城、次いで母と養父・柴田勝家の北ノ庄城、最後に自らと秀頼の大坂城と、生涯で三度も居城の落城を見たためです。
淀殿と北政所(ねね)の関係は?
ともに秀吉の妻ですが、淀殿は秀頼を生んだ側室、ねねは正室でした。秀吉の死後は立場をめぐって距離が生まれたと伝わります。