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武田軍 ・ 武田

武田勝頼

たけだ かつより

「武田四郎」

信玄の四男にして武田家最後の当主。父譲りの武勇で高天神城を攻略するなど一時は版図を広げたが、長篠で織田・徳川の鉄砲隊に宿将の多くを失う大敗を喫した。以後は織田の攻勢に抗しきれず家臣の離反が相次ぎ、天目山に追い詰められて一族とともに自刃、名門武田は滅んだ。

異名
「武田四郎」
官位・役職
武田家当主
領国・本拠
甲斐・信濃
旗印・家紋
武田菱
陣営
武田軍
生没
1546–1582(享年37)

朧なる 月もほのかに 雲かすみ 晴れて行くへの 西の山の端。

辞世

生涯

  1. 元亀四年 家督相続 父信玄の死により、武田家の重責を継いだ。
  2. 天正三年 長篠の大敗 織田・徳川の鉄砲陣に突撃を繰り返し、宿将を多数失った。
  3. 天正十年 天目山 織田の侵攻に家臣が離反、天目山で自刃し武田は滅亡した。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 三方ヶ原の戦いみかたがはらのたたかい 元亀三年十二月二十二日 遠江国 三方ヶ原 若き四郎勝頼は予備隊として父の後詰を務め、崩れた徳川軍への追撃に加わった。 兵力 3,000名 観る ▸
  2. 長篠の戦いながしののたたかい 天正三年五月二十一日 三河国 長篠・設楽原 信玄の後継として決戦を選択。波状突撃を命じ続けるも宿将の多くを失い、鳳来寺道を北へ落ち延びた。 兵力 3,000名 ・ 総大将 観る ▸