清水宗治の肖像

毛利方清水

清水宗治

しみず むねはる

「武士の鑑」

1537–1582(享年46)

官位・役職
長左衛門尉
領国・本拠
備中(高松城)
3Dで見られる合戦
1合戦

後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して

清水宗治 辞世

毛利氏に属した備中の将で、要衝・高松城を預かった。秀吉の中国攻めでは、足守川を堰き止める前代未聞の「水攻め」に城ごと水没させられても、城兵とともによく耐え抜いた。だが本能寺の変の直後、明智討伐を急ぐ秀吉は毛利との和睦を急ぎ、宗治ひとりの命を講和の条件とする。宗治はこれを潔く受け、城兵すべての助命と引き換えに、湖上へ漕ぎ出した小舟の上で舞を一さし舞い、従容として腹を切った。その見事な最期は敵将秀吉をも嘆かせ、後世「武士の鑑」と讃えられた。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1575天正三年

    高松城主

    毛利方の備中の要として、高松城を預かった。

  2. 1582天正十年

    水攻めに耐える

    秀吉の堤に城を水没させられても、城兵とともに籠城を続けた。

  3. 1582天正十年

    湖上に散る

    本能寺後の和睦で、城兵の助命と引き換えに湖上の小舟で舞い、自刃した。

  4. 1582天正十年

    備中高松城の水攻め

    高松城主。水攻めに耐えたが、城兵すべての助命と引き換えに、湖上の小舟で舞を舞い自刃した。「武士の鑑」と讃えられる。

    備中国 高松城 総大将 兵 5,000 3Dで見る ›

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