西軍島津
島津義弘
しまづ よしひろ
「鬼島津」
1535–1619(享年85)
- 官位・役職
- 兵庫頭
- 領国・本拠
- 薩摩
- 旗印・家紋
- 丸に十字
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
敵中突破こそ薩摩隼人の意地よ。
伝・島津義弘
島津四兄弟の次男にして、島津の武の象徴。木崎原では寡兵で伊東の大軍を破り、耳川・沖田畷でも釣り野伏せで武名を轟かせた。朝鮮の役では泗川で明・朝鮮の大軍を撃退。関ヶ原では西軍に属し、敗色濃厚の中、あえて敵の正面を突っ切る「島津の退き口」で薩摩へ生還した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1572元亀三年
木崎原の戦い
わずかな手勢で伊東の大軍を撃破、「九州の桶狭間」と称された。
- 1578天正六年
耳川
釣り野伏せの「釣り」役を演じ、大友勢を殲滅に導いた。
耳川の戦い 兵 3,000 3Dで見る › 中央で「釣り」役を演じ、わざと崩れて大友軍を誘い込んだ。後の関ヶ原・退き口の二十二年前の姿。 PR「耳川の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1598慶長三年
泗川の戦い
朝鮮で数万の明・朝鮮軍を、寡兵で打ち破った。
- 1600慶長五年
島津の退き口
関ヶ原の敗勢の中、敵の中央を突破して薩摩へ帰還した。
- 1600慶長五年