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西軍 ・ 島津

島津義弘

しまづ よしひろ

「鬼島津」

島津四兄弟の次男にして、島津の武の象徴。木崎原では寡兵で伊東の大軍を破り、耳川・沖田畷でも釣り野伏せで武名を轟かせた。朝鮮の役では泗川で明・朝鮮の大軍を撃退。関ヶ原では西軍に属し、敗色濃厚の中、あえて敵の正面を突っ切る「島津の退き口」で薩摩へ生還した。

異名
「鬼島津」
官位・役職
兵庫頭ひょうごのかみ
領国・本拠
薩摩
旗印・家紋
丸に十字
陣営
西軍
生没
1535–1619(享年85)

敵中突破こそ薩摩隼人の意地よ。

伝・島津義弘

生涯

  1. 元亀三年 木崎原の戦い わずかな手勢で伊東の大軍を撃破、「九州の桶狭間」と称された。
  2. 天正六年 耳川 釣り野伏せの「釣り」役を演じ、大友勢を殲滅に導いた。
  3. 慶長三年 泗川の戦い 朝鮮で数万の明・朝鮮軍を、寡兵で打ち破った。
  4. 慶長五年 島津の退き口 関ヶ原の敗勢の中、敵の中央を突破して薩摩へ帰還した。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 耳川の戦いみみがわのたたかい 天正六年十一月十二日 日向国 高城川原 中央で「釣り」役を演じ、わざと崩れて大友軍を誘い込んだ。後の関ヶ原・退き口の二十二年前の姿。 兵力 3,000名 観る ▸
  2. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 戦線中央で静観を保ち、敗戦後は敵中突破「島津の退き口」で伊勢街道へ抜け薩摩へ生還した。 兵力 1,500名 観る ▸