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織田 ・ 織田

織田信孝

おだ のぶたか

織田信長の三男で、伊勢神戸氏を継ぐ。本能寺の変の直後、四国攻めの軍を率いていたが、駆けつけた秀吉と合流し、山崎の戦いでは名目上の総大将として明智光秀を討った。だが続く清須会議では、兄信雄や秀吉との駆け引きに敗れて織田家の主導権を失う。柴田勝家・滝川一益と結んで秀吉に対抗するが、賤ヶ岳で勝家が敗れると孤立。降伏の後、尾張・内海で自害を命じられ、二十六歳で果てた。秀吉を呪う辞世が伝わる。

官位・役職
侍従
領国・本拠
伊勢神戸 → 美濃岐阜
旗印・家紋
織田木瓜
陣営
織田
生没
1558–1583(享年26)

昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前

織田信孝 辞世

生涯

  1. 天正十年 山崎の戦い 名目上の総大将として、秀吉とともに光秀を討った。
  2. 天正十年 清須会議 家督争いに敗れ、織田家の主導権を失った。
  3. 天正十一年 賤ヶ岳の敗報 勝家に呼応して挙兵するも孤立し、自害した。

この絵巻での足跡全2合戦

  1. 山崎の戦いやまざきのたたかい 天正十年六月十三日 山城国 山崎 本能寺の変から十一日。中国大返しで戻った秀吉が、雨の天王山で明智光秀の「三日天下」を終わらせた。 観る ▸
  2. 賤ヶ岳の戦いしずがたけのたたかい 天正十一年四月二十一日 近江国 賤ヶ岳 夜を徹した美濃大返し、七本槍の追撃、前田利家の離脱。信長の後継者を決めた湖北の決戦。 観る ▸

ゆかりの地

  • 岐阜城(岐阜)
  • 安養院(愛知・美浜)