毛利毛利
毛利輝元
もうり てるもと
「安芸宰相」
1553–1625(享年73)
- 官位・役職
- 権中納言
- 領国・本拠
- 安芸 → 周防・長門
- 旗印・家紋
- 一文字三星
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
元就の嫡孫として若くして家督を継ぎ、叔父の吉川元春・小早川隆景「両川」に支えられて中国地方を統べた。織田・羽柴の中国攻めと激しく争ったが、本能寺の変の後に秀吉と和睦し、豊臣政権では五大老の一人に列する。関ヶ原では西軍の総大将として大坂城に入ったが、ついに兵を動かさぬまま西軍は敗れた。戦後、安芸を含む所領の大半を失い、周防・長門の二国に減じられる。これが後の長州藩の礎となった。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1571元亀二年
家督相続
祖父元就の死を受け、毛利家の当主となった。
- 1582天正十年
秀吉と和睦
本能寺の変の報を機に、織田との中国の戦いを収めて和睦した。
- 1582天正十年
備中高松城の水攻め
後巻きの毛利本軍を率いて駆けつけたが、満々と湛えた水に阻まれ、城を救うことはついに叶わなかった。
備中国 高松城 兵 12,000 3Dで見る › PR「備中高松城の水攻め」の本を探す楽天で探す
- 1589天正十七年
広島築城
太田川河口に広島城を築き、新たな本拠とした。
- 1600慶長五年
関ヶ原と減封
西軍総大将に担がれて大坂城に入るも動かず、敗戦後に防長二国へ減封された。
- 1625寛永二年
萩に没す
長州藩の礎を築き、萩で生涯を閉じた。