蜀漢軍馬(蜀漢)
馬謖
ばしょく
「泣いて斬られし参軍」
190–228(享年39)
- 官位・役職
- 参軍
- 領国・本拠
- 蜀漢
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
城を攻むるは下、心を攻むるは上。
『三国志』馬良伝注(襄陽記)
荊州の名士馬良の弟で、「馬氏の五常、白眉最も良し」の兄に劣らぬ才子と評された。劉備は「言葉が実を過ぎる。重く用いてはならぬ」と諸葛亮に遺言したが、諸葛亮は彼を参軍として重用し、夜を徹して兵法を論じた。南中征伐では「城を攻めるは下、心を攻めるは上」と献じて孟獲の心服を導く。建興六年の第一次北伐では要衝街亭を任されたが、街道を押さえよという軍令に背いて南山に布陣し、張郃に水路を断たれて大敗した。漢中に戻ると軍法により斬られ、諸葛亮は涙を流した。三十九歳。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 221章武元年
諸葛亮の参軍
劉備の忠告にもかかわらず、諸葛亮に才を愛されて参軍となる。
- 225建興三年
攻心の策
南征に際し「心を攻めるを上とせよ」と献策し、孟獲の心服を導いた。
- 228建興六年
街亭の戦い
軍令に背いて山上に布陣し、張郃に水を断たれて大敗した。
街亭の戦い 総大将 兵 20,000 3Dで見る › 諸葛亮が愛した参軍。兵法談義に長じたが実戦経験に乏しく、街亭で軍令に背いて山上に布陣し、水を断たれて大敗した。 PR「街亭の戦い」の本を探す楽天で探す
- 228建興六年
泣いて斬られる
漢中で軍法により処刑される。諸葛亮は涙を流した。