黒田官兵衛(孝高)の肖像

羽柴軍黒田

黒田官兵衛(孝高)

くろだ かんべえ(よしたか)

「軍師ぐんし / 如水じょすい」

1546–1604(享年59)

官位・役職
勘解由次官かげゆのすけ
領国・本拠
播磨 → 豊前中津
旗印・家紋
黒田藤巴
3Dで見られる合戦
6合戦

肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

播磨小寺氏の家老から秀吉に従い、調略と軍略で天下統一を支えた稀代の軍師。荒木村重の謀反で一年余を土牢に幽閉され、不自由な足を負った。本能寺の変では動揺する秀吉に好機の到来を囁き、中国大返しと山崎の勝利を導いたと伝わる。後に剃髪して如水と号した。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1577天正五年

    秀吉の参謀

    中国攻めで秀吉に従い、調略の才を発揮した。

  2. 1578天正六年

    三木合戦

    播磨攻めの献策者。三木を力攻めせず付城で囲む策は、この男の知略によるところが大きい。

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  3. 1581天正九年

    鳥取城の戦い

    中国攻めの参謀。三木で会得した「囲んで干す」策を、ここ鳥取でさらに徹底させた。

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  4. 1582天正十年

    中国大返し

    本能寺の報に取って返す策を献じ、山崎の勝利を導いた。

  5. 1582天正十年

    備中高松城の水攻め

    「水で攻めよ」と水攻めを献じた軍師。沼の地形を逆手に取り、難攻不落の沼城を湖に沈めてみせた。

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  6. 1582天正十年

    山崎の戦い

    天王山の中腹を押さえ、山上から明智軍を制圧した。「天下分け目の天王山」の語源を作った部隊。

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  7. 1585天正十三年

    四国攻め

    秀長を支えた軍師。城の水脈を断ち、補給を塞ぐ攻めを献じて一宮を干上がらせた。

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  8. 1590天正十八年

    小田原攻め

    秀吉の軍師。長陣の末、北条方と和睦の話を進め、氏直に開城を勧める使者の役を担ったと伝わる。

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  9. 1600慶長五年

    九州を席巻

    関ヶ原の隙に乗じ、九州で独自に兵を挙げ版図を広げた。

ゆかりの地

よくある質問

黒田官兵衛とはどんな人物ですか?

秀吉の天下取りを支えた稀代の軍師です。本能寺の変の報に「好機」を囁き、中国大返しと山崎の勝利を導いたと伝わります。竹中半兵衛と並ぶ「両兵衛」で、後に剃髪して如水と号しました。

黒田官兵衛と竹中半兵衛の違いは?

どちらも秀吉の名軍師で「両兵衛」と称されます。半兵衛は早くに病没した先任、官兵衛は長く仕えて九州に大領を得た後任にあたります。半兵衛が官兵衛の子・松寿丸(黒田長政)を救った縁もあります。

黒田官兵衛の最期は?

関ヶ原の際は九州で独自に兵を挙げて版図を広げました。慶長九年(1604年)に没し、家督を継いだ子・長政は福岡藩の礎を築きました。

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