西軍から東軍へ小早川
小早川秀秋
こばやかわ ひであき
「金吾中納言」
1582–1602(享年21)
- 官位・役職
- 中納言 / 左衛門督
- 領国・本拠
- 筑前 → 備前岡山
- 旗印・家紋
- 違い鎌
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
秀吉の正室ねねの甥で、一時は豊臣の後継候補として育てられ、後に名門毛利の小早川家を継いだ。関ヶ原では当初西軍に属して松尾山に布陣するが、東西いずれにつくか迷い続けた。家康の催促の鉄砲(問鉄砲)に決断し、西軍へ寝返って大谷吉継隊を急襲、戦局を一気に東軍勝利へ傾けた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1597慶長二年
小早川家相続
名門毛利の一族・小早川隆景の養子となり、家督を継いだ。
- 1600慶長五年
松尾山布陣
一万五千の大軍で松尾山に陣取り、両軍の去就を握った。
- 1600慶長五年
関ヶ原の寝返り
西軍を裏切り大谷隊を急襲、東軍勝利の決定打となった。
関ヶ原の戦い 兵 15,000 3Dで見る › 松尾山から戦況を傍観し、家康の問鉄砲を受けて正午過ぎに寝返り、大谷隊へ襲いかかった。 - 1602慶長七年
早世
戦の二年後、岡山で若くして世を去り、小早川家は絶えた。