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西軍から東軍へ ・ 小早川

小早川秀秋

こばやかわ ひであき

「金吾中納言」

秀吉の正室ねねの甥で、一時は豊臣の後継候補として育てられ、後に名門毛利の小早川家を継いだ。関ヶ原では当初西軍に属して松尾山に布陣するが、東西いずれにつくか迷い続けた。家康の催促の鉄砲(問鉄砲)に決断し、西軍へ寝返って大谷吉継隊を急襲、戦局を一気に東軍勝利へ傾けた。

異名
「金吾中納言」
官位・役職
中納言ちゅうなごん / 左衛門督さえもんのかみ
領国・本拠
筑前 → 備前岡山
旗印・家紋
違い鎌
陣営
西軍から東軍へ
生没
1582–1602(享年21)

生涯

  1. 慶長二年 小早川家相続 名門毛利の一族・小早川隆景の養子となり、家督を継いだ。
  2. 慶長五年 松尾山布陣 一万五千の大軍で松尾山に陣取り、両軍の去就を握った。
  3. 慶長五年 関ヶ原の寝返り 西軍を裏切り大谷隊を急襲、東軍勝利の決定打となった。
  4. 慶長七年 早世 戦の二年後、岡山で若くして世を去り、小早川家は絶えた。

この絵巻での足跡全1合戦

  1. 関ヶ原の戦いせきがはらのたたかい 慶長五年九月十五日 美濃国 関ヶ原 松尾山から戦況を傍観し、家康の問鉄砲を受けて正午過ぎに寝返り、大谷隊へ襲いかかった。 兵力 15,000名 観る ▸