毛利方吉川(石見)
吉川経家
きっかわ つねいえ
1547–1581(享年35)
- 領国・本拠
- 石見(福光) → 因幡・鳥取城
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
石見の名族・石見吉川氏の当主。毛利氏の求めに応じ、織田に囲まれた因幡鳥取城の城将として入城した。死を覚悟し、棺を担いで城へ入ったと伝わる。羽柴秀吉の徹底した兵糧攻め――因幡の米を買い占め、付城で完全に包囲する「鳥取の渇え殺し」に、城兵・領民とともに四月に及ぶ飢餓を耐え抜いた。だが惨状が極まると、経家は城内すべての者の助命を条件に、己の一命を差し出す。天正九年十月、従容として腹を切った。享年三十五。その覚悟を、敵将秀吉すらも深く惜しんだという。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1581天正九年
鳥取城へ入る
毛利の求めに応じ、死を覚悟して鳥取城の城将となった。
鳥取城の戦い 総大将 兵 4,000 3Dで見る › 毛利が送り込んだ鳥取城の城将。棺を担いで入城したと伝わる。四月に及ぶ渇え殺しの末、城兵と領民すべての助命と引き換えに自刃した。享年三十五。 PR「鳥取城の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1581天正九年
渇え殺し
秀吉の兵糧攻めに、城兵・領民とともに四月の飢餓を耐えた。
- 1581天正九年
自刃
城内すべての助命と引き換えに、十月に腹を切った。享年三十五。