劉備軍黄(蜀漢)
黄忠
こうちゅう
「老いてなお盛ん」
生年不詳–220
- 官位・役職
- 後将軍 / 関内侯
- 領国・本拠
- 蜀漢
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
南陽の人。劉表に仕えて長沙を守り、劉表の死後は曹操に属したが、赤壁の後に長沙を得た劉備に従った。益州平定では常に先陣に立ち、その勇は三軍に冠たりと讃えられる。建安二十四年、漢中を争う定軍山の戦いでは、法正の合図とともに太鼓を轟かせて山を駆け下り、鹿角の修理に出ていた魏の大将夏侯淵を一撃で斬り伏せた。この功で征西将軍、劉備が漢中王となると後将軍に進み、関羽と並ぶ扱いを受けた。関羽が「老兵と同列か」と不満を漏らしたのはこの時である。翌年に病没した。演義では百発百中の弓の名手として描かれる。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 209建安十四年
劉備に従う
赤壁後に長沙を得た劉備に仕え、益州攻めに従った。
- 214建安十九年
益州平定
常に先陣を切り、「勇は三軍に冠たり」と讃えられた。
- 219建安二十四年
定軍山の戦い
定軍山を駆け下って夏侯淵を斬り、漢中争奪を決定づけた。
定軍山の戦い 兵 8,000 3Dで見る › 六十を過ぎた老将。法正の合図で太鼓を轟かせて定軍山を駆け下り、鹿角の修理に出ていた夏侯淵を一撃で斬り伏せた。この功で征西将軍、翌年には後将軍となる。 PR「定軍山の戦い」の本を探す楽天で探す
- 219建安二十四年
後将軍
劉備の漢中王即位に伴い後将軍・関内侯となる。
- 220建安二十五年
病没
翌年に病で世を去った。剛侯と諡された。