東軍細川
細川忠興
ほそかわ ただおき
「三斎 / 利休七哲」
1563–1646(享年84)
- 官位・役職
- 越中守
- 領国・本拠
- 丹後 → 豊前小倉
- 旗印・家紋
- 九曜
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
足利・織田に仕えた細川藤孝の子で、明智光秀の娘ガラシャを妻とした。本能寺では舅光秀に与せず織田への節を貫く。利休七哲の一人に数えられる茶人でもあった。関ヶ原に先立ち、人質を拒んだ妻ガラシャが屋敷に散る悲劇に見舞われつつ、東軍として奮戦し、豊前小倉を得た。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1582天正十年
本能寺の決断
舅光秀の謀反に与せず、剃髪して織田への節を通した。
- 1600慶長五年
ガラシャの最期
出陣中、人質を拒んだ妻ガラシャが大坂屋敷に散った。
- 1600慶長五年