佐竹佐竹
佐竹義重
さたけ よししげ
「鬼義重」
1547–1612(享年66)
- 官位・役職
- 常陸介
- 領国・本拠
- 常陸
- 旗印・家紋
- 扇に月丸
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
常陸を拠点に勢力を広げた佐竹氏の当主。「鬼義重」と称される剛勇で知られ、一太刀で敵七人を薙いだ「七騎斬り」の伝説を持つ。南奥州へ進出する伊達政宗と激しく対立し、天正十三年の人取橋では蘆名らと三万の連合軍を率いて政宗七千を包囲、あと一歩まで追い詰めた。だが領内の事情で撤退を余儀なくされる。のちに秀吉へ従い常陸五十四万石を安堵されたが、関ヶ原では旗幟を鮮明にできず、戦後に出羽秋田へ減転封された。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1585天正十三年
人取橋
反伊達連合三万を率い、政宗を包囲して追い詰めた。
人取橋の戦い 総大将 兵 12,000 3Dで見る › 「鬼義重」と呼ばれた常陸の猛将。反伊達連合の盟主として三万を率い政宗を追い詰めたが、佐竹領の変事により勝機を前に撤退した。 PR「人取橋の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1590天正十八年
秀吉に臣従
小田原参陣で常陸五十四万石を安堵された。
- 1602慶長七年
秋田へ
関ヶ原の去就が曖昧とされ、出羽秋田へ減転封された。