真田真田
真田昌幸
さなだ まさゆき
「表裏比興の者」
1547–1611(享年65)
- 官位・役職
- 安房守
- 領国・本拠
- 信濃上田
- 旗印・家紋
- 六文銭
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
武田信玄に仕えた武藤家から真田家を継ぎ、武田滅亡後は織田・上杉・北条・徳川のはざまで巧みに立ち回って信濃上田に自立した。天正十三年の第一次上田合戦で徳川の大軍を寡兵で撃退し、その名を轟かせる。関ヶ原では長男信幸を東軍、自身と次男信繁を西軍に分け、真田の家名を残す策をとった。第二次上田合戦では徳川秀忠の三万八千を上田城で翻弄し、本戦に遅参させる殊勲を立てる。戦後は九度山に流されたが、その智謀は生涯「表裏比興の者」と恐れられた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1585天正十三年
第一次上田合戦
徳川の大軍を寡兵で退け、真田の武名を天下に轟かせた。
第一次上田合戦 総大将 兵 1,200 3Dで見る › 上田城の主。沼田の引き渡しを拒んで徳川と手を切り、二千ほどの兵で七千の徳川勢を城下へ誘い込んで打ち破った。のちに「表裏比興の者」と評される知略の将。 PR「第一次上田合戦」の本を探す楽天で探す
- 1600慶長五年
犬伏の別れ
一族を東西に分け、自身と信繁は西軍についた。
- 1600慶長五年
第二次上田合戦
徳川秀忠の三万八千を上田城で翻弄し、関ヶ原本戦に遅参させた。
上田合戦 総大将 兵 2,000 3Dで見る › 「表裏比興の者」と信長・秀吉に評された知略の将。偽りの降伏と刈田の挑発で秀忠を誘い込み、二千余で三万八千を翻弄した。 PR「上田合戦」の本を探す楽天で探す
- 1611慶長十六年
九度山に没す
蟄居のまま病没。再起は叶わなかった。