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第一次上田合戦

天正十三年閏八月二日

午前6:00 沼田
東軍 西軍 寝返り

第一次上田合戦
合戦データを読み込み中

第一次上田合戦だいいちじうえだかっせんの解説

第一次上田合戦は、1585年(天正十三年閏八月二日)に信濃国 上田で行われた合戦です。沼田の引き渡しを拒んだ真田昌幸が、わずか二千で徳川勢七千を上田の城下へ誘い込み、戸石城の信幸の横撃と増水した神川で打ち破った。真田の名を天下に広めた一戦。

年
1585年天正十三年閏八月二日
場所
信濃国 上田
時代
安土桃山時代

両軍の対陣

徳川軍 総大将鳥居元忠 12,0004隊
真田軍 総大将真田昌幸 2,8004隊

兵力の内訳3Dに登場する部隊の合計

徳川軍

戦った 12,000

真田軍

戦った 2,800

徳川軍兵の多い順

真田軍兵の多い順

肖像画は Wikimedia Commons のパブリックドメインの画像です(後世に描かれた想像図を含みます)。

合戦の経過時刻は3Dの時計

  1. 天正十三年 夏1章

    沼田沼田は渡さぬ

    天正十三年、徳川家康は北条との和睦の約束として、真田昌幸に上野の沼田を北条へ引き渡すよう命じた。沼田は真田が自らの力で切り取った地である。昌幸はこれをはねつけて徳川と手を切り、越後の上杉景勝と結んだ。

  2. 八月 末2章

    進軍七千、上田へ

    怒った家康は、鳥居元忠・大久保忠世・平岩親吉らに兵およそ七千を与えて、上田へ差し向けた。徳川勢は神川を渡り、国分寺のあたりに陣を張る。迎え撃つ真田勢は、わずか二千ほどであった。

  3. 閏八月二日 朝3章

    誘い碁を打つ昌幸

    昌幸は上田城で悠然と碁を打っていたと伝わる。城を出た真田の小勢は、徳川勢に小競り合いを仕掛けては、わざと崩れて逃げ帰った。勢いづいた徳川勢は、そのまま上田の城下へなだれ込む。

  4. 閏八月二日 昼4章

    城下千鳥掛けの柵

    城下には、互い違いに組まれた柵がめぐらされていた。大軍は柵に阻まれて思うように進めず、押し合いながら二の丸へ迫る。そこへ城から鉄砲と矢が一斉に浴びせられ、町の家々からは火の手が上がった。

  5. 閏八月二日 昼過ぎ5章

    反撃戸石から信幸

    崩れ立った徳川勢に、城から昌幸の本隊が打って出た。さらに戸石城から駆けつけた嫡男・信幸の一隊が、横合いから襲いかかる。前と横から挟まれた徳川勢は総崩れとなり、東へ逃げ出した。

  6. 閏八月二日 夕刻6章

    神川神川に沈む

    逃げる徳川勢の前に、雨で水かさを増した神川が立ちはだかった。追いすがる真田勢に背後を突かれ、多くの兵が流れに呑まれていく。徳川の死者はおよそ千三百、真田はわずか四十ほどであったという。

  7. 閏八月 下旬7章

    撤退真田の名、天下に

    徳川勢はなおも丸子城を攻めたが落とせず、井伊直政らの援軍が来ても、戦は動かなかった。十一月、重臣の石川数正が秀吉のもとへ走ると、徳川は信濃の兵をすべて引き揚げる。小勢で徳川を退けた真田昌幸の名は、天下に知れ渡った。

超精密3Dで見ると合戦パスの特典

第一次上田合戦の3D(標準の画質)
第一次上田合戦(超精密3D)

同じ場面を、標準の画質と超精密3Dで並べました。線を左右に動かして見比べられ、「引き」と「接近」で見え方を切り替えられます。超精密3Dでは、山肌の尾根と谷、3Dの森と岩、海や川の水面、田畑の筋、人の姿の兵まで精密に描きます。各合戦の1章目は、合戦パスが無くても超精密3Dで見られます。

よくある質問

第一次上田合戦とは何ですか?

沼田の引き渡しを拒んだ真田昌幸が、わずか二千で徳川勢七千を上田の城下へ誘い込み、戸石城の信幸の横撃と増水した神川で打ち破った。真田の名を天下に広めた一戦。

第一次上田合戦はいつ・どこで起きましたか?

1585年、信濃国 上田(天正十三年閏八月二日)で起きた合戦です。

第一次上田合戦では誰が戦いましたか?

真田軍の真田昌幸、徳川軍の鳥居元忠らが戦いました。

第一次上田合戦を3Dで見られますか?

はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。

この合戦の更新履歴

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