豊臣宮部
宮部継潤
みやべ けいじゅん
1528–1599(享年72)
- 官位・役職
- 法印
- 領国・本拠
- 因幡鳥取
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
比叡山の僧兵から身を起こし、浅井氏を経て羽柴秀吉に仕えた異色の武将。中国攻めで武功を重ね、因幡鳥取城を任される。天正十五年の九州攻めでは豊臣秀長の日向方面軍に属し、要地・根白坂の砦を預かった。島津義弘・家久の得意とする夜襲を、鉄砲を撃ち重ねて一歩も退かず守り抜き、豊臣軍の勝利=島津降伏を決定づけた。剃髪して法印を称した。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1581天正九年
鳥取城主
中国攻めの功で因幡鳥取城を預かった。
- 1587天正十五年
根白坂の死守
島津の夜襲を砦に守り抜き、九州平定を決定づけた。
根白坂の戦い 兵 3,000 3Dで見る › 根白坂の砦を預かった老将。島津の猛烈な夜襲に一歩も退かず、鉄砲を撃ち重ねて柵を守り抜いた。この死守が勝敗を分けた。 PR「根白坂の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1599慶長四年
没
豊臣政権の宿老の一人として世を去った。