豊臣軍十河(三好一族)

十河存保

そごう まさやす

1554–1586(享年33)

官位・役職
民部大輔みんぶのたいふ
領国・本拠
讃岐(十河城)
3Dで見られる合戦
1合戦

三好長慶の弟・三好実休(義賢)の次男。叔父の十河一存が急死すると、その養子として讃岐の十河家を継いだ。兄の三好長治が横死したのちは阿波の勝瑞城に入り、三好家の勢力挽回に努めたが、四国制覇を進める長宗我部元親と激しく争い、天正十年の中富川の戦いで大敗して讃岐へ退く。その後も虎丸城・十河城に拠って抗戦を続けたが支えきれず、羽柴秀吉を頼った。天正十三年の四国攻めの後、讃岐十河に三万石を与えられ、仙石秀久の与力大名となる。翌年、九州攻めの先遣隊に加わり、かつての宿敵・長宗我部元親らとともに豊後へ渡ったが、戸次川で島津家久の伏兵に遭い、討死した。

生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦

  1. 1561永禄四年

    十河家を継ぐ

    叔父十河一存の急死により、その養子となって十河家を継いだ。

  2. 1578天正六年

    勝瑞城へ

    兄長治の死後、阿波の勝瑞城に入り三好家の立て直しを図った。

  3. 1582天正十年

    中富川の戦い

    長宗我部元親に大敗し、勝瑞城を退いて讃岐へ逃れた。

  4. 1585天正十三年

    十河城主

    秀吉の四国攻めの後、讃岐十河に三万石を与えられた。

  5. 1586天正十四年

ゆかりの地

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