豊臣軍仙石
仙石秀久
せんごく ひでひさ
「鈴鳴り武者」
1552–1614(享年63)
- 官位・役職
- 越前守
- 領国・本拠
- 淡路洲本 → 讃岐 → 信濃小諸
- 旗印・家紋
- 永楽銭
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
仙石は 四国を指して 逃げにけり 三国一の 臆病者
戸次川の敗走を嘲った落首(伝)
美濃の土豪の家に生まれ、若くして羽柴秀吉に仕えた最古参の家臣の一人。各地で武功を重ね、天正十一年に淡路洲本五万石、四国攻めの後には讃岐一国を与えられて大名となった。天正十四年、九州攻めの先遣隊の軍監として長宗我部元親・信親父子や十河存保らを率いて豊後へ渡る。しかし本隊の到着を待てという秀吉の命に背き、元親の反対も押し切って戸次川を渡河。島津家久の釣り野伏せにかかって大敗し、信親・存保を討死させたうえ、自らは讃岐へ逃げ帰った。「三国一の臆病者」と嘲られ、秀吉の怒りを買って改易される。だが天正十八年の小田原攻めに浪人の身で陣借りして参陣し、鈴を縫い付けた陣羽織で奮戦して「鈴鳴り武者」と呼ばれる武功を挙げ、信濃小諸五万石で大名に返り咲いた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1583天正十一年
洲本城主
秀吉の家臣から、淡路洲本五万石の大名に取り立てられた。
- 1585天正十三年
讃岐の国主
四国攻めの功により讃岐一国を与えられた。
- 1586天正十四年
戸次川の大敗
軍監として独断で渡河し、島津家久に大敗。のちに改易された。
戸次川の戦い 総大将 兵 2,000 3Dで見る › 秀吉が送った四国勢の軍監。「本隊を待て」という命に背き、元親の反対を押し切って戸次川を渡らせた。伏兵に崩されるとまっ先に戦場を離れ、大敗の責めを負って領地を失った。 PR「戸次川の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1590天正十八年
小諸五万石
小田原攻めに陣借りして武功を挙げ、信濃小諸五万石で大名に復帰した。
- 1614慶長十九年
鴻巣に没す
江戸から小諸へ帰る途中、武蔵鴻巣で病没した。