長宗我部軍長宗我部
長宗我部信親
ちょうそかべ のぶちか
1565–1586(享年22)
- 領国・本拠
- 土佐(岡豊城)
- 旗印・家紋
- 七つ酢漿草
- 3Dで見られる合戦
- 2合戦
後世の想像図・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
長宗我部元親の嫡男。天正六年、父が誼を通じた織田信長から「信」の字を与えられて信親と名乗り、名刀や名馬も贈られた。身の丈六尺一寸(約184cm)の長身で、色白く柔和、言葉少なく礼儀正しい人柄と伝わり、学問にも武芸にも秀でた若武者として父の期待を一身に集めた。天正十三年、秀吉の四国攻めに父とともに降り、翌年の九州攻めでは父に従って豊後へ渡る。軍監仙石秀久の独断で戸次川を渡った豊臣の先遣隊は、島津家久の釣り野伏せに包まれて崩れ、信親は中津留河原に踏みとどまって大長刀を振るい奮戦したが、ついに討たれた。二十二歳。従う七百人もことごとく討死したと伝わる。最愛の嫡男を失った元親は気力を失い、跡目をめぐる家中の混乱が長宗我部家衰亡の遠因となった。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1565永禄八年
誕生
長宗我部元親の嫡男として土佐に生まれた。
- 1578天正六年
「信」の一字
織田信長から「信」の字と左文字の名刀、名馬を与えられた。
- 1585天正十三年
- 1586天正十四年
戸次川に散る
中津留河原で奮戦の末に討死した。二十二歳の若さであった。
戸次川の戦い 兵 1,000 3Dで見る › 元親の嫡男。信長に烏帽子親を頼み「信」の字をもらった、文武にすぐれた若武者。四国勢の先頭で戸次川を渡り、中津留の河原で七百の兵とともに討ち死にした。二十二歳。 PR「戸次川の戦い」の本を探す楽天で探す