北条後北条
北条氏康
ほうじょう うじやす
「相模の獅子」
1515–1571(享年57)
- 官位・役職
- 相模守
- 領国・本拠
- 相模(小田原城)
- 旗印・家紋
- 三つ鱗
- 3Dで見られる合戦
- 1合戦
肖像画・出典: Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
北条氏綱の子として生まれ、幼少より父に従って戦場を駆けた。生涯に受けた傷はすべて体の前面にあったと伝わり、その武勇から「相模の獅子」と称される。家督を継いだ直後、扇谷・山内の両上杉と古河公方が連合して河越城に押し寄せると、氏康はへりくだった和睦や敗走を装って敵の油断を誘い、天文十五年、八千の兵で八万の大軍に夜襲を敢行してこれを打ち破った(河越夜戦)。以後、関東に勢力を広げ、上杉謙信・武田信玄の再三の侵攻もよく凌ぎ、甲相駿三国同盟を結んで背後を固めた。検地や税制改革、伝馬制の整備など内政にも心を配り、後北条氏の全盛を築いた。
生涯と合戦金の丸は3Dで見られる合戦
- 1541天文十年
家督相続
父氏綱の死を受けて後北条氏の当主となった。
- 1546天文十五年
河越夜戦
八千の兵で八万の連合軍を夜襲で破り、扇谷上杉を滅ぼして関東の主導権を握った。
河越城の戦い 総大将 兵 8,000 3Dで見る › 後北条氏三代目。十倍の敵を前に和睦と敗走を装って油断を誘い、深夜の奇襲で八万の連合軍を打ち破った。関東に覇を唱えた名君。 PR「河越城の戦い」の本を探す楽天で探す
- 1554天文二十三年
三国同盟
武田・今川と甲相駿三国同盟を結び、背後の憂いを断った。
- 1561永禄四年
小田原を守る
上杉謙信の大軍による小田原包囲を、堅城に拠って退けた。
- 1571元亀二年
小田原に没す
後北条氏の全盛を築き、小田原城に生涯を閉じた。