厳島の戦いの解説
厳島の戦いは、1555年(弘治元年十月一日)に安芸国 厳島で行われた合戦です。暴風雨の夜、毛利元就が四千の兵で海を渡り、霊島に二万の陶軍を奇襲する。鬼謀が一日で中国の覇権を覆した。
- 年
- 1555年(弘治元年十月一日)
- 場所
- 安芸国 厳島
- 時代
- 戦国(中国地方)
合戦の経過
- 囮の城 宮尾城、誘いの一手
弘治元年十月。毛利元就は厳島の北西に宮尾城を築き、陶晴賢の大軍を狭い島へ誘い込んだ。乗ってきた陶軍は二万。塔の岡に本陣を据え、わずか五百が守る宮尾城を囲む。罠とも知らずに。
- 渡海 暴風の海を渡る
夜半、暴風雨。海を知る者なら船を出さぬ荒れ模様――その嵐に紛れ、元就は本隊を率いて地御前を発した。島の裏手、包ヶ浦の浜へ。「この風こそ天の与えたもうた好機」。
- 水軍 村上水軍、参着
小早川隆景の求めに応じ、瀬戸内の村上水軍三百艘が夜の海に現れた。陶方の船団は焼かれ、退路の海は毛利のものとなる。島に上がった二万は、もはや逃げ場を失った。
- 払暁 山を越えて、奇襲
夜明け。元就の本隊は弥山の尾根を越え、塔の岡の陶本陣を背後から衝いた。海手からは隆景が、城内からは囮の守兵が打って出る。三方からの奇襲に、陶軍は寝込みを討たれた。
- 総崩れ 狭い島の二万
兵が多いことが、かえって仇となった。狭い島に二万は展開できず、同士討ちのごとく崩れていく。弘中隆兼、三浦房清ら宿将が次々と討たれ、陣形は内側から溶けた。
- 晴賢自刃 大江浦に散る
陶晴賢は島を脱しようと西の浜へ走るが、海はすでに村上水軍が塞いでいた。逃げ場を絶たれた晴賢は大江浦で自刃。二万の大軍は一日で潰え、毛利元就は中国の覇者へと駆け上がった。
登場する武将・部隊
よくある質問
- 厳島の戦いとは何ですか?
- 暴風雨の夜、毛利元就が四千の兵で海を渡り、霊島に二万の陶軍を奇襲する。鬼謀が一日で中国の覇権を覆した。
- 厳島の戦いはいつ・どこで起きましたか?
- 1555年、安芸国 厳島(弘治元年十月一日)で起きた合戦です。
- 厳島の戦いでは誰が戦いましたか?
- 毛利軍の毛利元就、陶軍の陶晴賢らが戦いました。
- 厳島の戦いを3Dで見られますか?
- はい。このページで約3分の3D俯瞰演出として無料でご覧いただけます。布陣・軍勢の動き・勝敗の流れを直感的に追えます。